闘病記録

【闘病生活4】鬱病を治したくない人

鬱病は甘え”なんて化石みたいな言葉です

一度患ってしまうとそこでほぼ確実に人生の歩みにストップがかかり、その年月は数年だったり一生ものになってしまったりします

僕は幸運にも最近は復調してきましてこれからどう生きていこうかという“悩み”の段階にはいっています

この“悩み”の段階というのが意外とやっかいだと僕は思ってまして精神疾患になってからすっかり別人のような思考回路の人間になってしまったと感じています

みんなに心配してほしいという感覚

症状が深刻な状況下にある方はそんな感覚どころではないと思います

というか実際一番病状が悪かったときのことなんて僕は記憶からとんでますし、どうやって生きていたのかも人づてに聞くことしかできません

ただ、病状がだんだんによくなっていき自我というものが戻り、ある程度自分の身体や心をコントロールをできるようになっている今の僕は発病する前と比べて何かをする集中力や何かを始めるフットワークがすっかり重くなったと感じています

その原因は何かという僕の答えは“病気の時はみんなが僕を心配してくれた”です

鬱病などの精神疾患を体験したことのないかたでも風邪をひいて周囲から心配された経験がある人は凄く多いと思います

あのみんなが自分を心配してくれる感覚って周囲がいつもより自分に優しくなり特別な扱いをしてくれて皮肉にもちょっと気持ちが良かったりもします

ですが風邪は数日で完治してしまうことがほとんどなので“特別な自分”でいられる期間は短く周りの人間も2日もたてば“普段のみんな”に戻るでしょう

しかし鬱病という病は数年単位の治療が必要なため、その“特別な自分”でいられる期間が風邪の類と比べて圧倒的に長いです

“特別な自分”でいられる期間が数年にわたるとどういうことになるかというと“みんなが自分を心配してくれるのは当たり前”という催眠にかかったような感覚が出てきます

もちろん全ての患者さんにこの感覚が現れるとは限りませんが可能性としてはあると僕は思います

この催眠にかかるとどうなってしまうかというと何かを辞める理由に病という盾をもちだすようになります(※病状が日常生活にある程度支障なくおくれるようになっているかたの場合です)

完全な健常者とは言えずとも薬である程度心身をコントロールできるようになることは本来とても喜ばしいことなのですが病気であることによって“心配される特別な自分”を失いたくないという気持ちが何故か出てきます

結果、社会復帰をしようにもなかなかその気持ちがわかず、自分が病気であるという括りを剥がされたくなくて引きこもってしまうケースも少なからずあると思います

そしてその時間が長く続くと病気とは関係なしに全てにおいて意欲の低下を招きどんどん生きるのが難しくなっていきます

鬱病は苦しいが自分のアインデンティティーにしてはならない

鬱病は辛いです

最悪自ら命を絶ってしまうこともある病ですしこの病気そのものを理解してくれないダメな大人が一定数いることもまた事実でしょう

友達が鬱で狂ったようにみえる自分から離れていったり、鬱になった自分をどう扱うかで家族がもめて散り散りになってしまったり病気の症状以外にも本当に地獄みたいなことが僕はたくさんありました

ですが僕はそれでも鬱病を自分のアイデンティティーにしてはいけないと思います

鬱病だから夢を全て諦めなければならないなんてことはあまりにももったいないことだと思います

そして、もしこの記事を読んでいるかたで病が復調してきていて最悪の状況から脱することができた状態にある人は寛解を目指してほしいと思います

僕も今ちょうどその狭間にいます

その狭間にいるだけでも本当に幸せなのです

たまに調子は悪くなるけれど毎日どう過ごしてたかもわからない状態から抜け出せただけでも本当に幸運で人生は大きく前進しているだと思います

そうなった人たちは“特別な自分”を卒業しなければなりません

そしてここには二度と戻ってこないと

病気で“心配される特別な自分”ではなく“心身ともに自立した特別な自分”として生きることが1回しかない人生においてはとてもいい景色が見られるのではないかと思います

今から僕はその景色を見に行くのです